闘病-3


ここ半年くらい小便の勢いが弱いとか、夜中にトイレに2回も3回も起きる、尿意をもよおしたら我慢できないとかの症状が出ていた。これは前立腺の病気かなーと感じていた。2009年YXC新年会の時、DXIさんが「前立腺の検査に行った」、と言う話を聞いた。これは自分も受けなくてはならないなーと、思いつつ中々実行できなかった。その前に加入しているAF癌保険の内容を検討し新しいものに変更しようかなー と思いAFにメールを出したがなしのつぶてで何の返事ももらえなかった。
この時、再度メールを出すなり、電話をすべきであったが今となっては大失敗であった。

             検査 
2009年4月14日
思い切って常滑市民病院泌尿器科を受診。採血、エコー検査。
血液検査の結果を診ないと分からないが前立腺肥大、癌の可能性が高いとの診断、ああやっぱりか


4月16日
小便の圧力測定の為、常滑市民病院へ。小便が良く出るように家を出る前にコップ4杯の水を飲み、途中のコンビニでお茶を1本のむ。
病院ですぐに尿意をもよおし目的達成。しかし小便圧はたらたらで長いだけ。
チャートを見れば明らかに弱い。「血液検査の結果を診ないと分からんが入院して生検の必要が有るかもしれんなー」・・・まあー覚悟は出来ている。採血する。


4月21日
肛門に指を突っ込んで触診。硬い、癌の疑いが高い。

4月22日
血液検査の結果説明を受ける。PAS値43.5高い通常4以下なら正常といわれる。天皇陛下と同じくらいの値だった。これでますます癌の疑いが高くなった。
生検の為入院することになる。入院のための血液検査、心電図、レントゲンを撮る。いよいよ入院だ。

4月23日
常滑市民病院生検の為入院。
外来診察室で点滴をしてもらい3Fの病室へ。なんとこの階には白血病の時、お世話になったkazukoさんが主任として勤務していた。実際に顔は合わせてないが入院中には会えるだろう。それにしてよく縁があるものだ。
13時から車椅子で手術室に向かい細胞採取。簡単に考えていたが何の何の大変な作業だった。
手術台にのり足を上げた状態でパンツを脱がされ肛門に何やら器具を突っ込んで細胞を6か所から切り出す。
採取する場所を探り出すため器具を動かすのが痛い。この最中に先生がくしゃみを何回もする、風邪をひいているのかなーと思っていたが後で聞いたら先生は「花粉症」との事。医者でも花粉症になるのか。採取が終わったらちんぽをつかんで尿道にチューブを入れられる。これも痛くかつ違和感がある、常に尿意をもよおしている状態で気持ちがわるい。15分くらいで終わっただろうか?
やれやれだが手術のときにはまたこれ以上のことがなされるのか。たまらんなー。
部屋は3Fで一番高額な9450円の特別室。自分で頼んだのではないのでその料金は適用されないとのこと。
バス、トイレ付の海側の二人部屋。同室は新見さん、地元の方、肝臓癌の手術を受けるとの事。



1日9450円の病室、中部国際空港が目の前

俺のベッド、テレビが液晶になっていた。

4月24日
尿道に突っ込んだチューブが気になり常に尿意をもよおしている感じで眠れなかった。
それでも何とか朝になった。朝方にはちょっとはましになった。
 6:30 抗生剤の点滴をソルラクトに合わせて注入。これが終われば全点滴は終了となる。
昨日からつけていた心電図計を外す。これは病室からナースセンターにデータを無線で送信している器具。
 6:40 採血。 Drの診察後、歩行許可がでる、それまでは歩けない。
 7:35 Dr検診。「小便に血は混じっていない。尿管を外してもらいます。明日退院としましょう。」
     この時間にDrはもう来ている、それとも当直だったのか。医師の激務か。
 7:40 点滴終了、器具を外してもらう。
10:00 尿の管も外してもらう。これですべて外れ自由の身に。早速トイレ行く。自由の身になったら退屈してしまう。
本を読んで過ごす。いい休養になる。
妻が12:00〜15:00までいる。いても何もすることはない。長い時間家をあけるとケビン(ダックスフンド)が狂ったようになる。寂しがりが激しい。
テレビカードを入れたが冷蔵庫に振り当てたのでテレビが見られなくなった。冷蔵庫に振り当てると修正がきかず戻ってこない。1000円損した。
残りカードで30分ほどテレビをみる。切れた時点でラジオに切り替え。
21:00消灯、就寝、今夜も眠れない。 


4月25日
退院日の日 朝から雨、
26日は「食の館」で竹ポックリ製作体験教室に行かねば。吉人氏はポックリ用の竹伐りは済ませただろうか、気になる。計画したものは実行せねばならない。
生検の結果は連休明けの5月8日になる。それまでは休戦。


   竹ポックリ製作体験教室

生検結果
六ヶ所からの細胞採取により検査した結果四ヵ所からがん細胞が検出された。これは予想していた事。次は何処まで転移しているかを種々のX線に調べなければならない。それによって治療法も変る。

X線検査 

5月12日 
下腹部造影、MRI検査 

5月13日
骨シンチ撮影と胸のCT 骨に癌が転移してないか調べるのだろう。造影剤を打っての撮影。
色々検査を受け状況を正確につかんで最適な治療法を選ぶことになる。


5月14日
きょうも検査日。3日目、上下腹の造影、最後は来週になる。X線検査は身体に負担がかかるのだろうか?なぜ1日でやってしまわないのだろう。
偶然にも枚方兄から電話があり「23日に小牧の墓参りに行くが一緒にどうか」 と言う内容。「いやー実は前立腺ガンが見つかったので入院するかもしれない」
というと「えっ!!お前もか、実は俺も前立腺がんにかかっており6月2日に入院して手術する事になっている」 双子でも有るまいし兄弟が同じ時期に同じ病気になるとは。遺伝性もあるらしい。そういえば小牧兄も前立腺で入院していたような記憶がある。兄貴の場合転移してなくて良かった。手術で完治するだろう。
白血病を患いあんなに辛い治療に耐えて頑張ってきたのにさらに癌か、神は更なる試練を与えてくれる。「自分がこうなったのは自分なら耐えられるから自分が選ばれたのだ。」とういう話を聞いた事が有る。


5月19日
最後のレントゲン検査、これを持って治療の方法が決まるので美穂子もついてきてく
れた

結果 は「骨には転移していないがリンパ節に転移しているので手術は意味がない」 とのこと。がっくり、診察を受けるのが遅かったか。手術で取り除いて完治する事を予想していたのに。
治療法としては内分泌療法が採用される。
これでは死ぬまで付き合っていかねばならない。骨に転移していなかったことをよしとせねばならないのか?医学の進歩は日進月歩なので頑張って生きていればさらに新しい治療法が開発されるかも知れない、それを信じて治療を続けよう。
これからの生活は何ら変る事はないが気分的には落ち込む。
後日高校の同級生清田君から「東洋経済」の生活習慣病、からガンまで「クスリ」&「先端医療」最新情報という特集号を送ってきてくれた。ありがたい事だ。
入院しないので保険金は給付されない。保険金を当てにするのは間違った事か?


5月26日
内分泌治療開始

1.腹にホルモン注射(リュープリン)
2.カソデックス錠80mg 毎朝食後1錠服用、 4週間分を処方。


6月23日
内分泌治療、2回目 治療開始後初めての採血。
気のせいか何となく小便の勢いが少し強くなったように感じる。
注射、薬の影響は感じない。汗をかく事が多くなったようだがこれは季節の
せいだろうか。

7月7日
血液内科受診 血小板、赤血球が下限はずれとなっていた。薬の副作用かも知れないとの事。

7月12日 
東海熊工会総会。事前に現在の病気のことを知らせておき出席できるかどうか分からないと連絡しておいた。 会場で上妻氏より前立腺の友という飲み物を貰った。ありがたいことです。持つべきは友達。白血病の時も、大分、姫路のメンバー各位から励ましのメールをもらい随分元気づけられた。皆さんに感謝しております。

























7月21日
内分泌治療、3回目
前回の採血結果がでる。
治療2ヵ月後 PSA値 43,5→1.43 と大きく下がった。このまま治療を続ける
8月21日
内分泌治療、4回目 
9月15日
内分泌治療、5回目  治療4ヵ月後 PSA値 1.43→0.113

TOP ページ JH2YXC 東海熊工会

inserted by FC2 system