熊工クラス会
          

2011年 大阪クラス会
今年のクラス会は初めて熊本を出て大阪で開催することになった。これは昨年のクラス会の時、「新幹線が熊本まで開通することだし今度は大阪でやろう」と話がまとまった。会場は奈良在住の本田君、神戸の五郎丸君が担当してくれた。大阪にはほかに吉田、永田君がいる。この二人の名前が出なかったことに鉄平が意義を唱え酒の勢いも手伝って「大阪で開催するのに、奈良や神戸の人間が走り回ってお前達は何ば考えとっとか。」と電話で叱り飛ばし結局この大阪組も出席することになった。吉田君は初めての出席で顔が全くわからなかった。これは全員同じで「ぬしゃだるや??」ということになった。
総会は五郎丸、山野君の分担司会で行われ各人の近況報告では診察券の多さを自慢したり昔話をしたりであっというまにお開き。そのまま2次会となり大渕級長が参加者ひとりひとりの思い出を語り大いに盛り上がった。熊本から同行してきた山野。林君の奥さんも本田君により引っ張り出され奥様ではクラス会デビュー第1号となった。
翌日、熊本組は京都の観光バスに乗り、雨の比叡山、三千院を観光した。岡野、清田の2名は地下鉄で難波まで行き道頓堀界隈を散策した。
熊本組は第一ホテルに連泊。なぜだろうか??京都に泊まればいいと思うのだが。
次回のクラス会は鉄平の声で「ええか、来年は熊本、そんつぎは東京」・・・これで決まりか。
清田君の画集売上金の一部と「クラス会」の費用の一部を東日本大震災の義援金として熊本日日新聞に届ける事にした。
今回のクラス会でいろいろご尽力頂いた本田、五郎丸君に御礼申し上げます。


新しくなった大阪駅

阪急方面をみる

会場となった丸ビル第一ホテル

ホテルの部屋でしばしの懇談

山野、鉄平、小林

部屋をでてロビーで時間待ち

本田君永田君と久しぶりの再会

これで全員です

五郎丸に司会で開始


総合司会の山野

永田、級長、黒岩

これが誰かわからんだった吉田君

林君は身体をこわしているようだ。

中村君このカードで熊本城へ入れます。

カンパーイ!!

本田、清田昔の写真をみてる。

益見先生、吉里出納長、木村

野口、高永、西村

級長と黒岩

出納長と吉田

ドンドン飲んでくださいね

益見先生、級長

本田、清田画伯

奥様登場


朝食です

大阪駅に向かっています

難波高島屋

大阪歌舞伎座

道頓堀

朝からラーメンを食べています

大阪のシンボル

道頓堀川

心斎橋筋

   2010年クラス会


      昭和35年工芸科卒 2010年クラス会

周りの稲刈りが進んでいます。金木犀が強い匂いを漂わせています。
 元気な九十一歳の吉田先生をお迎えして、熊本工業高校工芸科・昭和三十五年卒業「古 希」クラス会は仲間14名が集まって熊本交通センターホテルで開催しました。古田先生の挨拶の後、各自近況報告。途中林君が詩吟「古希を壽ぐ」を披露。森本君の乾杯の音頭で賑やかな会がスタート。久し振りの友もいて話しが盛りあがり、病気、薬の話、手術の縫合の跡の自慢があったりして、若い時とは違う話に花が咲き、愉しい時の時刻は過ぎるのは早いもので、定刻を過ぎて本田君の気合にあわせて「熊工校歌」をだみ声を張り上げて斉唱。稼農君の「フレーフレー熊工」に声を合わせ、中村君の萬歳三唱で第一ステージは幕。その後は二次会会場へ場所を移してカラオケの競演で遅くまで盛り上がりました。

 今年は昭和十六年生まれの「古希」でしたので、来年は昭和十七年生まれの人の「古希」の会を関西に場所を移して開催する事となりました。来年三月には熊本から新大阪まで新幹線が繋がりますし、大阪や神戸には飛行機が就航しておりまして利便だと思います。五郎丸君、本田君が世話役としてしっかり頑張ると皆に固い約束をしましたので、今から愉しみです。

 清田君、坂田君から「御噂」を戴きました。有難うございました。
集合写真では、大洲君は仕事の都合で遅れて出席しましたので写っていません。今年も中村君がカメラマンとして頑張ってくれました。次回の会場で元気な顔でお逢いしましょう。
     世話人 山野 直


  2009年クラス会


 2005  
      
   2005年5月15日

 
今年もクラス会に出席することが出来ました。場所は前回と同じ辛島町の「熊本交通センターホテル」で開催されました。前回(2002年5月10日)の時はクラス会出席前に阿蘇高岳に登山。知多に帰宅4日目に無線クラブの行事で木曽御岳登山。それから悪夢の入院9ヶ月の生活が始まりました。今回も同じパターンになるので計画していたクラス会前の久住登山は取りやめ、帰宅後の御岳登山は九合目までと決めそれを守りました。3年の期間は大病をものがたるように顔がすっかり変わってしまいましたが、それでも出席できたことに感謝しています。 
今回の旅行はもうひとつの目的がありました。それは19歳の時、勤めていたダム工事現場の「俺の足跡」を見ることに有りました。当時の姿をそのまま残してる所もあり非常に懐かしく思いました。熊本と縁が切れ掛かっていたのに毎年のように帰れることは故郷がまだ私を見捨ててないことだと思いうれしく思います。これからも機会があれば体の続く限り帰りたいと思っています。   
 

200年の時は髪の毛が黒々してました。3年間でこんなにかぜ通しがよくなり額が広くなりました。清田、境君は今でも電話のやり取りがありますが、高校時代に仲の良かった小堀君、西村君の元気な姿をみて45年前にタイムスリップしました。益見君とは一度阿蘇根子岳に登った事が有りましたが穏やかな物腰は当時と変らず現役時代はさぞや人望のある先生だったろうと伺われます。一番背の低かった高永君は1964年ころ戸畑製造所構内でちらりと見かけたことが有りましたが声はかけられませんでした。大渕級長は今や実業家として活躍してるようですが出席簿では彼の次でしたので一度も彼の前に出ることは出来ませんでした。
   

先生とコンパニオン 先生この後倒れ救急車で病院へ 級長、時ちゃんへまあーどうぞ ふうちゃんと境君
至功くんと野球の芹川君 剣道部主将と時ちゃん 鉄の仲間 NSC2名 NKK1名
コンパニオンとご満悦、 鉄の仲間 山は大阿蘇地軸ゆすりて


2002.5.11
熊工還暦クラス会

昭和35年卒業 熊本工業高等学校工芸科クラス会は熊本在住の山野君、中村君、林君らのご尽力により熊本市内のど真ん中、辛島町の「熊本交通センターホテル」で開催されました。

42年ぶりの旧友は顔がわからず「あんた誰やったかなー」と皆が聞く始末。終了後、市内の歓楽街に繰り出し何軒目かの店でマスターらしき人がギターで熊工校歌を弾いていたのには驚きでした。誰の行き付けの店か知らないがこの日のためにマスターに校歌をマスターさせたのでしょう。最後はどんな風に別れたのか思い出せませんが3時前無事ホテルに帰り着きました。

 
市内電車 熊本にいた頃はよ
く利用した 
市内の中心地 辛島町 繁華街の新市街アーケード 辛島町 知多半島から来た人も立ち
止る
熊本在住 山野君 企画運営有難う 終身級長 大渕君 剣道部 清田君 林、芹川(先生じゃないよ)永田君 山野 益見 中村君(運営有難う)
俺だー!! 清田君と駒屋の小林ふーちゃん 中央が甲子園4番打者本田君、高校時代に戻る 2次会 誰かの行きつけスナック

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熊工4番打者 ジャイアンツ に入団
2002年夏の甲子園大会出場の山本光将選手がドラフト5位で巨人に指名され入団しました。熊工会報より同選手の言葉を紹介します。・・・・
「今回読売巨人軍にドラフト5位で指名を受け率直に嬉しかったです。しかしそれと同時に若干の不安がよぎりました。今のままで本当に通用するのか、技術面ではどうだろうかなど、様々な不安を抱いています。実際に自分の目で見てもパワー、スピード、技術とどれをとっても劣っていると思います。初めは、巨人軍というとてもレベルの高い球団に入団が決まり、最高のプレーを近くで見れる、勉強できるなどプラスな考えが多かったのですが日々時間が経つにつれ、やはりすごいチームに入るんだなーと実感しています。」・・・・後略    頑張って1軍入りを果たしてもらいたいものです。

クラスメートの 本田君も甲子園の熊工4番打者
1959年 春の甲子園選抜大会に熊工が出場、この時の4番打者はクラスメートの本田君、クラスには野球部員が5名程いたが当時の野球部員は古い糸の切れたボールを縫う事も仕事で手先の器用な黒岩君にその仕事を頼んでいた。黒岩君は授業中にいつもボール縫いをしていたように思う。

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